会計からの報告

たくさんの皆さまからのご協力をいただいて、
ついに『百合子、ダスヴィダーニヤ』が完成しました!


完成直後に東日本大震災という大きな災害があり、その甚大な被害状況を前に
支援する会メンバーとしても、一個人としても思うところはたくさんあります。
しかしながら、まずは会計として、簡潔に報告をさせていただくことにしました。


4月23日までのカンパ総額 9,463,404円


これまでの大きなご協力に、心から深く感謝申し上げますとともに、
産声をあげたばかりのこの映画に、今後とも暖かい応援をいただけることを願ってやみません。
ありがとうございました!これからもよろしくお願いいたします!

逆走式ロケ報告・番外編

<逆走式静岡ロケ報告はまだ中途ですが、今回は最近のトピックによる番外編です>

関係者試写でお会いした日仏女性研究学会の伊吹弘子さんに、2月に出たばかりの吉行和子さんの文庫本を頂いた。『老嬢は今日も上機嫌』というエッセイ集。吉行さんには、今回の『百合子、ダスヴィダーニヤ』の前に、3本の浜野組作品に出て頂いている。それについて書かれた文章が、収録されているとか。
原著は、3年前に同じ新潮社から刊行された同名の単行本。吉行さんは俳句を詠む俳人でもあり、簡潔で、意が伝わり、余韻の残る言葉で、あまり一般的ではない女優の生活の周辺や、吉行家の人々が語られている。どれも書き出しの一行が素晴らしい。すっと別の世界に招き入れられる。
浜野組関連では『第七官界彷徨尾崎翠を探して』(98年)に出演して頂いた際の「小説は面白い」というエッセイ。白石加代子さん演じる尾崎翠の親友、松下文子の役だ。この時、尾崎翠の全作品を読んだと言うから、すごい。「第七官界彷徨」について「まず面白い。笑える。切ない」と書かれているのは、さすが。
浜野監督の平凡社新書『女が映画をつくるとき』について触れたのが「映画は生きている」というエッセイ。三百本のピンク映画の先にあった尾崎翠の映画。「私はこの映画に出演したのだが、あまりに威勢がいいのに驚いた。こんな元気のいい女性が、この日本にいたのか、と感じ入り、次の『百合祭』にも出てしまった」。
この『百合祭』(01年)では、ミッキー・カーチスさんとのラブシーンがある主人公を演じて頂いた。さらには白川和子さんとのキスシーンまである。まさに「出てしまった」というのが正直なところかも知れないが、ウィメンズホールでの上映の時には、お母さんのあぐりさんがぜひ観たいと言い出され、お二人で来られた。その後の「親孝行ができた」という吉行さんの感想に唸ったものだ。
『こほろぎ嬢』(06年)の撮影中に書かれたのが「鳥取にて」というエッセイで、その直前に亡くなられた妹の詩人・作家の吉行理恵さんについても語られている。このエッセイは一部を略して、理恵さんの尾崎翠全集の書評とともに、映画のパンフレットに収録させて頂いた。その完全版というわけである。
理恵さんの遺されたお金を、楽しみにしていた映画『こほろぎ嬢』のために使ってほしいと浜野監督に託されたことは、監督が何度も感激をもって語っているところだ。
なお、末尾に収録された「カミサマノオハナシ」というエッセイは絶品。理恵さんを回想しながら、現在の自らの心境を語っているが、読み終わって言葉を失う。おそろしい。

今回のロケは、ドラマ部分は全て静岡で撮影されたが、実景(普通にいえば情景)はその後、実際の舞台であった福島県猪苗代湖磐梯山を撮影した。2泊3日で猪苗代湖の回りをグルグル回ったのだが、宿舎とした天神浜の「こはんゲストハウス」も大震災と原発事故で大きなダメージを受けたようだ。以下は同ハウスのブログから一部抜粋。

地震だけでも酷いのに、原発問題で事態が最悪の状況になってしまいました。福島も観光業も、もう終わってしまいそうですね。
ようやく一年を通じて営業して、集客も上手く行ってさあ、ここからがんばって工夫して、更なる上積みをしたいと思っていたのに、これで全部吹き飛んでしまいました…。
ここからがんばっても、震災前の状況に戻ることは無いでしょう…。自分を取り巻くいろいろな状況を見ると、宿をやめる事を考えなければなりません…。」

奥さんがいればもっとも手広く営業できるんだけれど、と笑いながら、すべて一人でこなしていた中年独身オーナーの笑顔を思い浮かべると、胸が痛む。最初わたしは「ごはん〜ハウス」と勘違いし、食事をするところだと思い込んでいた。
実家は新潟だが、福島県内のホテルで修行したオーナー氏が、バブル期に建てられた社宅を改装してペンションにしたと言う。天神浜や小平潟天満宮も近くにあり、もう一度個人的に足を伸ばしてみたいと考えていた。

オーナー氏は「嵐が弱まった所で、少しアクションが起こせるようになるでしょう。何年かかるか…。」とも書かれているので、再び天神浜でお会いできることを、強く願う。完成した『百合子、ダスヴィダーニヤ』も観てもらいたいし。

早朝の天神浜。海岸とはまた違った、湖の静謐な光景だ。風評被害だけでなく、実害が猪苗代湖畔に及ぶことだって考えられる。海外メディアは「フクシマ」を連呼し、チェルノブイリ並みの扱い。福島県の失ったものはあまりにも大きい。東電は、猪苗代湖磐梯山に何をしてくれたのだ。
下は猪苗代湖の夕景。映画『百合子、ダスヴィダーニヤ』では、名手小山田カメラマンによって、福島県の中央に位置する猪苗代湖磐梯山の無言のスピリットが見事に描かれている。

逆走式・静岡ロケ報告(11)熱海・西紅亭

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10月14日(木)は、熱海・西紅亭(せいこうてい)でのロケ初日。百合子と、夫の荒木茂が暮らす青山の家でのシーンが撮影された。
役者は百合子役の一十三十一さんと、荒木役の大杉漣さん。今回のロケ報告は、スチール構成で「大杉漣劇場」です。

別居、離婚の話し合いが、今、クライマックスを迎えている。
中條百合子は、17歳で「貧しき人々の群れ」でデビューし、天才少女作家として文壇の注目を集めた。18歳で父に同行してアメリカに遊学し、19歳の時に15歳上の古代ペルシア語の研究者、荒木茂とニューヨークで結婚。
荒木は20歳でアメリカに渡り、15年にわたって辛酸を舐めながら苦学したが、ぱっとした業績も残せず「大学図書館の奥の苦行僧」として朽ち果てる覚悟でいた。
そんな彼の前に現れたのが、光り輝く新進女性作家の百合子だった。

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百合子と出会い、彼女と結婚することによって、荒木は日本に帰り、女子学習院講師(後に教授)の職も得ることができた。
彼にとっては、百合子との結婚生活は社会的な生命線でもあったので、なんとしても離婚を承諾するわけにはいかない。全身全霊をもって繋ぎ止めようとする。
しかし、百合子の心はすっかり芳子に傾いていて、彼の元には帰って来ない。苦悩する荒木は叫ぶ、「ベイビ! カムバック!」。

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百合子の小説「伸子」では、荒木(小説中では「佃」)は社交性に乏しい陰気な男として描かれている。
明らかなモデル小説だが、まだ離婚問題も解決していない段階でこのような小説を発表されるのだから、荒木もたまったもんじゃない。実際、百合子に控えめな苦情を書いた手紙も残されている。
もっとも、芳子と別れた後に書かれた「二つの庭」や「道標」では、今度は芳子(小説中では「素子」)が辛辣に描かれている。未来に向かって前進する百合子にとって、過去は清算されるべきものなのだろう。

どうしても別れたいと言う百合子に絶望した荒木は、やけのヤンパチで飼っていた小鳥を鳥かごから放す。二人で可愛がって来た小鳥たちだ。これが小説「伸子」の最後のシーンとなる。
どこから見ても陰々滅々、しんねりむっつりの中年男で、芳子の回想でもボロクソな言われ方をしている。しかし小説「伸子」を素直に読んでいると、けっこう可笑しい。
サンフランシスコからニューヨークまで流れ、アメリカ・ゴロなどと陰口も叩かれた荒木。百合子の周辺の誰もが結婚には絶対反対だったのだが、小説の意図しないところで妙に子供っぽいところ、ユーモラスなところが随所に表われる。
20歳でアメリカに渡ったのも、それなりの理由があったのだろう。その後、孤独な異国暮らしを続け、百合子と日本に帰って来ても日本社会には馴染めなかったに違いない。そのギャップが巧まざるユーモアを生む。「伸子」は噴き出しながら読める小説でもあるのだ。

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大杉さんは、その荒木の喜劇的側面を的確にキャッチし、苦悩する荒木から笑える荒木まで、幅のある荒木茂像を作り上げた。
撮影現場でも「ほんとにおかしな野郎だね、荒木って」などと言いつつ、楽しみながら演じていたように見える。
下の写真は、なんとか一度は百合子と和解し、二人でやり直すための新居に引っ越す準備をしているシーン。心浮き浮きだが、翌朝にはショックな電報がやって来た。

なお、荒木の名誉のために言っておけば、彼は「伸子」に描かれたような、それだけの人物ではなかったようだ。古代東洋語という地味な分野の研究の先駆けであり、また女子学習院の英語教授として新しいメソッドの英語教育の普及に貢献している(東京帝大でも「イラン言語学」を講義した)。
百合子と離婚後、年下の女性と再婚し、子供ももうけるが、長生きしないで亡くなった。映画の中でも結核を発症するシーンがあり、百合子には全然本気にされないが、結局この病気が死因だった。

イベント『百合子、ダスヴィダーニヤ』とわが映画人生を語る

  • 日時 : 3月6日(日)午後1:30〜3:30(受付 1:00)
  • 場所 : ちば中央コミュニティセンター5F 美術視聴覚室
  • 講師 : 浜野佐知監督
  • 参加費 : 500円(コーヒー・ビスコティ付き)
  • 内容 : 試写会まぢかの「百合子、ダスヴィダーニヤ」を映像で紹介し、浜野監督の波乱にみちた映画人生を語ってもらう。
  • 主催 : 浜野監督を応援する会
  • 協力団体 : 「ウーマンネットちば」「男女平等参画ちばの会」「映画と文化フォーラム」

逆走式・静岡ロケ報告(10)熱海・西紅亭

クランクイン以来、休みなしで働いてきた撮影隊の疲れやストレスが、ピークに達したと思われる10月15日(金)。
この日は、熱海のホテル池田別館・西紅亭(せいこうてい)での撮影2日目となる。普段はお茶会などで使われている古い日本家屋を、東京・青山の荒木と百合子の家に見立て、2日間にわたって撮影した。

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亀裂が深まる荒木と百合子。いやいや青山の家に戻ってきた百合子を、荒木は全身の喜びで迎え、彼女との関係を修復しようと躍起になる。これほど愛されているのに、百合子はどうして荒木を捨てようとするのだろう? 
彼女にとっては、自分を成長させてくれるものが全てだった。妻を愛し、家庭を愛する男は「精神生活の荷物をすっかり下ろして、休みたがっている」と、妻によって批判される。

二人の間の柱が、心理的懸隔をシンボリックに表現しているようだ。西紅亭の二階が、荒木の部屋と、二人が食事などする茶の間として使われた。
宮本百合子の小説「伸子」では、人付き合いの悪い鬱屈した男として描かれている夫、荒木茂(小説では「佃」)だが、大杉漣さんはその喜劇的側面も併せて、奥行き深く表現してくれた。

映画初出演で、主役の一方、中條百合子を演じたシンガーソングライターの一十三十一(ひとみ・とい)さん。時にはエゴイスティックにさえ見える百合子の、作家として・人間として成長することへの強い願い、意欲、野心を見事に体現した。
撮影中、地元TVのインタビューに答えて「これまでは(シンガーソングライターとして)世界の中心にいると思っていたけれど、撮影の現場ではそうはいかず、戸惑った」と発言していたが、ステージの中心にいる人だからこそ、大正時代の女性作家の剄(つよ)さを表現できたのだろう。

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この日は、チーフ助監督のS氏が撮影から降りるという椿事が出来(しゅったい)した。朝、合宿している畑毛温泉から熱海に向かうロケバスのなかで、浜野監督と口論になり、車から文字通り降りたのだ。
監督とチーフ助監督の対立はクランクイン当初からあって、何度か小爆発したが、遂にこの朝、大爆発を迎える。幸い、ロケは山場を越えかけていて、S氏もまたその後の連絡を取り合ってくれたので、この後の撮影に支障は出なかった。
この日の翌々日は初の撮休となり、ずっと底流していた二人の対立がもたらす緊張感から解放されたように、現場が伸び伸びしてきたのは皮肉な成り行きだった。(撮休明けのマッケンジー邸の撮影から、急きょ東京から呼び寄せられた演出部応援のK君が参加している)
なお、この監督とチーフ助監督の二人は、前作『こほろぎ嬢』(06年)でも、鳥取でつかみ合いに近い喧嘩を演じている。お互いに予測できなかったのかな?