逆走式・静岡ロケ報告(11)熱海・西紅亭

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10月14日(木)は、熱海・西紅亭(せいこうてい)でのロケ初日。百合子と、夫の荒木茂が暮らす青山の家でのシーンが撮影された。
役者は百合子役の一十三十一さんと、荒木役の大杉漣さん。今回のロケ報告は、スチール構成で「大杉漣劇場」です。

別居、離婚の話し合いが、今、クライマックスを迎えている。
中條百合子は、17歳で「貧しき人々の群れ」でデビューし、天才少女作家として文壇の注目を集めた。18歳で父に同行してアメリカに遊学し、19歳の時に15歳上の古代ペルシア語の研究者、荒木茂とニューヨークで結婚。
荒木は20歳でアメリカに渡り、15年にわたって辛酸を舐めながら苦学したが、ぱっとした業績も残せず「大学図書館の奥の苦行僧」として朽ち果てる覚悟でいた。
そんな彼の前に現れたのが、光り輝く新進女性作家の百合子だった。

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百合子と出会い、彼女と結婚することによって、荒木は日本に帰り、女子学習院講師(後に教授)の職も得ることができた。
彼にとっては、百合子との結婚生活は社会的な生命線でもあったので、なんとしても離婚を承諾するわけにはいかない。全身全霊をもって繋ぎ止めようとする。
しかし、百合子の心はすっかり芳子に傾いていて、彼の元には帰って来ない。苦悩する荒木は叫ぶ、「ベイビ! カムバック!」。

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百合子の小説「伸子」では、荒木(小説中では「佃」)は社交性に乏しい陰気な男として描かれている。
明らかなモデル小説だが、まだ離婚問題も解決していない段階でこのような小説を発表されるのだから、荒木もたまったもんじゃない。実際、百合子に控えめな苦情を書いた手紙も残されている。
もっとも、芳子と別れた後に書かれた「二つの庭」や「道標」では、今度は芳子(小説中では「素子」)が辛辣に描かれている。未来に向かって前進する百合子にとって、過去は清算されるべきものなのだろう。

どうしても別れたいと言う百合子に絶望した荒木は、やけのヤンパチで飼っていた小鳥を鳥かごから放す。二人で可愛がって来た小鳥たちだ。これが小説「伸子」の最後のシーンとなる。
どこから見ても陰々滅々、しんねりむっつりの中年男で、芳子の回想でもボロクソな言われ方をしている。しかし小説「伸子」を素直に読んでいると、けっこう可笑しい。
サンフランシスコからニューヨークまで流れ、アメリカ・ゴロなどと陰口も叩かれた荒木。百合子の周辺の誰もが結婚には絶対反対だったのだが、小説の意図しないところで妙に子供っぽいところ、ユーモラスなところが随所に表われる。
20歳でアメリカに渡ったのも、それなりの理由があったのだろう。その後、孤独な異国暮らしを続け、百合子と日本に帰って来ても日本社会には馴染めなかったに違いない。そのギャップが巧まざるユーモアを生む。「伸子」は噴き出しながら読める小説でもあるのだ。

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大杉さんは、その荒木の喜劇的側面を的確にキャッチし、苦悩する荒木から笑える荒木まで、幅のある荒木茂像を作り上げた。
撮影現場でも「ほんとにおかしな野郎だね、荒木って」などと言いつつ、楽しみながら演じていたように見える。
下の写真は、なんとか一度は百合子と和解し、二人でやり直すための新居に引っ越す準備をしているシーン。心浮き浮きだが、翌朝にはショックな電報がやって来た。

なお、荒木の名誉のために言っておけば、彼は「伸子」に描かれたような、それだけの人物ではなかったようだ。古代東洋語という地味な分野の研究の先駆けであり、また女子学習院の英語教授として新しいメソッドの英語教育の普及に貢献している(東京帝大でも「イラン言語学」を講義した)。
百合子と離婚後、年下の女性と再婚し、子供ももうけるが、長生きしないで亡くなった。映画の中でも結核を発症するシーンがあり、百合子には全然本気にされないが、結局この病気が死因だった。