逆走式・静岡ロケ報告(4) モスクワへ


10月21日のお昼前後から、函南町の倉庫に作ったシベリア鉄道のセットで、来るべきソビエト留学に向かう百合子と芳子のシーンを撮影。今回映画化した1924年大正13年)の時点からすれば、数年後のことになる。
シベリア鉄道のセットといっても、一車両作るわけにもいかず、コンパートメントの内部だけを作った。美術部の労作。

美術部の倉庫としてお借りした二階が、スタジオとなった。斡旋してくれたフィルムコミッション『花道』の土屋氏は、このセットを記念に残せないか大家さんと交渉したが、この二階も今後使う予定があって無理だった。労作だけに残念だが、それが映画のセットの宿命だろう。
翌朝、ポスター撮りが行われた時には跡形もなくなっていた。

窓外のシベリアの猛吹雪を演出する人たち。雪を流しているのが、映画美術の業界で知らない人のいない(?)佐々木さんだ。百戦錬磨の実力者だが、何か一言ジョークを言わないではいられないお茶目ぶりも発揮。

希望を抱いて向かったソビエト留学。民間の日本女性としては、この二人が初めてだった。芳子はロシア語を学んでロシア文学者としての基礎を固め、百合子は新しい社会主義国建設を目の当たりにして思想を確かなものとした。帰国後、酷い別れが待っている。